ヤノマミ——僕は読まなければならない。

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自分の髪が逆立っているように感じられた。心臓が口からせり出しそうになるほど、激しい動悸も襲ってきた。そして、足が震えて、うまく歩くことができなかった。だが、僕たちは見なければならない。ここで見なければならない。僕は、それだけを唱え続けながら、震える足で森の中に立っていた。


ラジルとベネズエラの間に広がる広大な森、アマゾン。
そのアマゾンに、先住民として暮らすヤノマミ。
彼らと合計150日間に渡る共同生活を行った、NHKグループのディレクターが書き下ろした本です。

ヤノマミは、30人から200人で1つの家をつくり、広大なアマゾンの中で分散して暮らしています。
裸に近い姿で生活し、狩りで食べ物を得て、ジャガーを殺し、性におおらかで、シャーマンが長を務める民族。
僕たちの日々の生活と比べようとすると、ギャップがある、というより、全く別世界の生き様だと思わざるを得ません。

この本の特徴として、NHKのディレクターが執筆したということが挙げられます。
専門家ではなく、テレビ局のディレクターという僕たちと目線の近い人が書き連ねることによって、アマゾンという異世界により一歩近付くことができます。
彼らがとまどい、思い悩むことは、僕たちの実感と広く重なっています。

精霊とともに暮らす、ヤノマミ。
ヤノマミは、「万物は精霊からなる」として、地上の生物も全て精霊が形を変えたものとしています。しかし、私たちが神秘的にとらえがちな「精霊像」とは大きく異なります。

「死」の精霊の使いという蛇は、見つけ次第自分の命を奪われないために殺します。
ジャガーは、<コヒップ(勇気)>の精霊の化身のため、男たちはコヒップを手に入
れるためにジャガーを殺します。
病人が出たときは、体についた悪い精霊を追い出すため、シャーマンがより強い精霊を呼びます。


ヤノマミにとって精霊とはひれ伏すような存在ではない。会話をし、意図を探り、時に命のやり取りをする存在だった。


ヤノマミの文化の中で、僕たちに最も衝撃的に映るのが、出産です。
ヤノマミの女は、住居を抜け出て、森で子を産みます。
そして母親は、その産まれた子を人間として迎え入れるか、精霊として天に返すかを決めます。精霊として天に返すとは、産まれてきた子どもを殺すということです。


ヤノマミにとって、産まれたばかりの子ども人間ではなく精霊なのだという。精霊として産まれてきた子どもは、母親に抱き上げられることによって初めて人間となる。だから、母親は決めねばならない。精霊として産まれた子どもを人間として迎え入れるのか、それとも、精霊のまま天に返すのか。


天に返すことを決めた時、母親は自らの手で子どもを殺め、その後、塔のようにそびえるシロアリの巣に子どもを置いていきます。数日も待たず、シロアリによって子どもの亡きがらは食べ尽されます。

僕は、この本を読むまでこのヤノマミの文化をおぼろげながら知っていたのですが、勘違いをしていました。
子どもを精霊として天に返す時、母親は産んだ子をシロアリに食べさせるだけだと思っていました。
しかし、母親は自らの手足を使い、子どもを殺めます。
ただ一言、「我が子を殺す」と言っても、ここまで直接的だとは思いも寄りませんでした。

以前紹介した『飼い喰い』を少し思い出しました。
「家畜を食べるために殺す」という意識を持っていても、そこに「自分の手を血で汚す」ような感覚はありません。
僕たちは普段、「生々しい死」に触れていません。

直接母親が我が子に手をかけるという行為。
また、ただシロアリに全てを委ねるのではなく、母親が我が子を殺めるという行為を生み出している文化。
彼らの日常は、僕たちにとって想像を絶するようなものです。


懐妊から十回の満月が過ぎ陣痛が始まると、少女は痛みで泣き続けた。丸二日、泣き続けた。四十五時間後に無事出産した時、不覚にも涙が出そうになった。おめでとう、と声をかけたくもなった。だが、そうしようと思った矢先、少女は僕たちの目の前で嬰児を天に贈った。自分の手と足を使って、表情を変えずに子どもを殺めた。動けなかった。心臓がバクバクした。それは思いもよらないことだったから、身体が硬直し、思考が停止した。


出産、そして子を天へと返すところに立ち会えたNHKのメンバー。
産んだ子を手にかける場面の描写は、その行為の衝撃と、それにひどく動揺するNHKメンバーのもがきが加わって、僕たちの心を掻きむしります。


自分の髪が逆立っているように感じられた。心臓が口からせり出しそうになるほど、激しい動悸も襲ってきた。そして、足が震えて、うまく歩くことができなかった。だが、僕たちは見なければならない。ここで見なければならない。僕は、それだけを唱え続けながら、震える足で森の中に立っていた。


「僕たちは見なければいけない」


彼らの覚悟は、両手が触れている紙を通じて僕たちに流れ込みます。
子どもが命を引き取る場面には、思わずギュッと目をつぶりたくなりました。
しかし、僕は、読まなければならない。震えながら取材を続ける彼らから目をそむけてはならない。どこかそんな思いで、文字を追いました。

そしてまた、母親たちも、決して作業のように子どもを殺めているわけではありません。


誤解のないように言っておきたいのだが、ヤノマミの女たちは何の感情もなしに子どもを天に送っているのではない。僕たちは、天に送った子どもたちを思って、女たちが一人の夜に泣くことを知っている。夢を見たといっては泣き、声を聞いたと言っては泣き、陣痛を思い出したと言っては泣くのだ。ヤノマミのルール(掟というよりは週間・風習に近い)では死者のことは忘れねばならないのに、女たちは忘れられないのだ。


母親は、何を考え産まれてきた子のありようを決めるのでしょうか。

一説には、実際は母親が全てを決定しているわけではなく、村の意思に沿って母親が実行している、という話もあります。口減らしのために、です。
実際、ブラジルが村の近くに設置した保健所によって、乳児の死亡率が減り、それと呼応するかのように子どもを天に返すの増えた、という例もあります。

しかし、それらは決して推測の域を出ません。
彼らが見る精霊を、僕たちは見ることができません。
同じ場所に立ったとしても、僕たちと彼らの見る世界、アマゾンが語りかけて来る言葉は大きく違っているでしょう。

胎盤とともに地上に転がる赤ん坊が、母親にはどう見えているんでしょうか。


ヤノマミは、近年でその数を急激に減らしました。
その原因は、「文明」との接触です。


コロンブス以前、新大陸には一千万〜五千万人(諸説あり)の先住民がいたと推定されているが、その殆どは「文明」側がもたらした病原菌によって死んだ。ブラジルでは推定三百万〜五百万人の先住民がいたとされるが、一九九〇年には二十万人となっていた。五百年で人口の実に九十三〜九十五パーセントが失われたのだ。現在、ブラジルの先住民の殆どはアマゾンなどの内陸部で暮らしているが、これは、真っ先に文明と接触した沿岸部の先住民が絶滅したからに他ならない。そのアマゾン地域でも、二十世紀以降は先住民と「文明」との接触が進み、分かっているだけで五十九の部族が絶滅している。


そして今、ヤノマミは別の理由でもまた、その数を減らしています。
村を出て、都会へと生活の場を帰る者が増えてきているのです。
弓を捨て、「労働」に勤しむものも現れつつあります。

それ自体を批判するのは、ナンセンスでしょう。
彼らがどんな生活を選ぶかは、彼らの裁量です。
類いまれな原始(に見える)生活が消えるのを僕たちが惜しむのは、文明に住む者のワガママな気もします。

しかし、彼らがある種強制的に文明化させられているのも、事実です。

ヤノマミは、森での生活を続けるために、森を開拓しようとする人間と争わなければなりません。
しかし、弓では銃に勝てません。そのため、彼らは「交渉」をせざるを得ません。
交渉のために、彼らはポルトガル語を覚えなければなりません。そして、文明の言葉が村に浸透することは、村と文明をより近づけ、文明の「モノ」や「文化」も村へと入ってくることを意味します。

森を守るため、今まで通りの生活を続けるためには、今ままでの生活を捨てなければならないのです。

ヤノマミの居住区は、開拓から守るためにブラジルから保護区として認定されています。そして、先住民保護を請け負うFUNAIという組織の総裁、シドニー・ポスエロ氏は以下のように述べています。


「原初の世界に生きる先住民にとって最も不幸なことは、私たちと接触してしまうことなのかもしれない。彼らは私たちと接触することで笑顔を失う。モノを得る代わりに笑顔を失う。彼らの集落はどんなに小さくても一つの国なのだ。独自の言語、風習、文化を持つ一つの国なのだ。そうした国が滅んだり、なくなったり、変わってしまうということは、私たちが持つ豊かさを失うことなのだ」



ヤノマミは、TVだけでなく、その衝撃さから映画館でも放映されました。
DVD化も果たしています。

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このブログでも以前紹介した『百年の孤独』が、本書にも登場します。
神話のように荒唐無稽で、文明が持つ論理性を飛び越えるかのような世界、マコンド。
しかし、命がひしめき合う森の中で、精霊とともに暮らすヤノマミを見ていると、人知を超えた物語など、何の変哲もなく生まれ、消えていきそうな感覚を覚えます。


森で産まれ、森に生き、森で死ぬヤノマミ。
アマゾンと一体化している彼らからは、むせ返るような野生の匂いを感じます。

「ヤノマミ」は、彼らの言葉で「人間」という意味です。

本書の題は、『ヤノマミ』です。
参考文献としても挙げられている、ヤノマミの生活を追った人類学者、ジャック・リゾーの記した本も、『ヤノマミ』です。



「彼らは、ヤノマミだ」

淡々と、自分たちだけの宇宙を織りなす彼らを、僕たちはただ、そういう風にしか、形容できないのかも知れません。



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