『ヤノマミ』—同じ人間。違う人間。

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森は大きい。歩けないほど大きい。



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森で最も多いのは、人間ではない。おそらく、蟻だ。


ドキュメンタリーは、ナレーションを務めるダンサーの田中泯の言葉から始まります。

先日紹介したばかりの『ヤノマミ』
今回、ドキュメンタリーも見ることができました。

本と映像。
なぞっているストーリーは同じですが、それぞれの視点は異なっていて、本とは違う面白さ、衝撃を味わうことができました。

ドキュメンタリーで最も衝撃だったシーンは、冒頭です。
事切れた胎児を、茶色く地面にそびえるシロアリの巣に、グイグイと押し込む母親。その、「モノ」を扱うかのような(実際、それはもうモノかも知れませんが)動きに、目が釘付けになりました。
濁った灰色の子どもを、シロアリの巣に入れ、アリ達に食べさせる。
非日常的過ぎて想像できなかったその光景を、映像は無遠慮なまでに鮮明に見せつけてきました。
一気に、アマゾンの密林へと意識が引き込まれていきました。

しかし、映像を見始めてから数分もしないうちに、違和感を覚え始めました。

それは、彼らが想像以上に、僕らと似ている人間だったからです。

『ヤノマミ』を読み、僕は彼らを想像しました。
文章から、別世界に住む、僕とは異なる生き物を思い描いていました。

しかし、画面の中で動き回る彼らは、自分と同じ人間のように見えて、強い違和感を覚えてしまいました。無意識のうちに、僕は彼らを完全に自分とは断絶した世界の住人だと思っていたので、まるで自分の親類のようにも思える彼らを見ていて、座りが悪くなりました。
彼らが日本人と同じモンゴロイドだと言うのも、この感覚に一役買っているかも知れません。

飼ってきた豚をばらし、腹の中にいた胎児で遊ぶ子ども達。子ども達の笑顔は、おもちゃをもらって目を輝かせながら遊ぶ文明社会のそれと、全く変わりません。

全くもって異質な光景の中に、シンパシーを感じてしまう。
それは非常に気持ち悪く、自分が今までに持っていた感覚をグラグラと揺り動かすものでした。
しかし、だからこそ、僕はこのドキュメンタリーを見てよかったと感じることもできました。

時折、田中泯のナレーションが入ります。
しかし、それは決して撮影する側のモノローグではなく、今起きている事実を伝えるだけの、ある意味無機質とも言えるものでした。
淡々とカメラは回り、撮影者やディレクターの声が入ることも決してありません。
もちろん、「それがドキュメンタリーだ」、と言えるのかも知れません。ただ、まさに必死の思いで撮影に臨んでいたことを知っている身としては、ふたたび彼らの真摯さに敬服させられました。
そういった意味でも、ある意味報道から離れ、私的な記録となっている本と、映像は、うまく補完しあっているのかも知れません。

DVDには、特典としてディレクターの国分拓のインタビューが収録されています。

「現地での食事はどうしていたのか」
「最後までヤノマミとナプだったのか」
「撮影中の『後ろめたさ』について」

など、ヤノマミとの合計150日間にも及ぶ共同生活が、文章でも映像でもなく、国分の言葉で描かれます。

また、「放送にあたって考えたことは?」という問いに対しては、「僕もいまだに正解が分からない」と答えています。

「テレビには選択権がない」

国分は、そう言います。

深夜、ふとテレビを付けたら、衝撃的な映像が流れている。始めから興味を持って足を運ぶ映画ならまだしも、テレビは、誰もが目にする可能性があります。
それを考えた上で、どこまでなら、流していいのか。

そして、この映像を流すことは、「正解」なのか。

この葛藤について、1つの答えが語られます。
気になる方は、ぜひDVDで。

映像と自分が対峙するような、覚悟が必要になるドキュメンタリーでした。



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