『純愛カウンセリング』——君を好きじゃないとどうにかなっちゃいそう

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やっぱり、報われない日常、叶えられない祈り、そういうものがあるからこそ頑張れる。



終始、「純愛ってなに?」と問いかける一冊。
シンガーソングダンサーの岡村ちゃんが、8人の相手と純愛を語っていきます。

学生時代、声を振るわせながら伝えた告白。
メールの返事がこなくてやきもきする。
スクリーンの中に観る不治の病を持った恋人。

純愛と聞いて思い浮かべるイメージは、人それぞれだと思います。

『純愛カウンセリング』で議題のひとつとして上がってくるのが、体の関係。
精神的な、気持ちだけで完結する思いが、純愛でしょうか。
それとも、相手に触れたい、と思う気持ちもひっくるめて、それは純愛と呼べるのでしょうか。

ゲイバーのママのまっちゃんと、岡村靖幸の意見はぶつかります。



岡村 だって成就することはないんですもん、愛が。どんなに子供に(ギュッと抱きしめるポーズ取る)こうやっても、恋愛関係にはならにわけですから。「お兄ちゃん」とは言ってきてくれるかもしれないけども、恋愛関係とはまた違いますよね。それと同じように、同性愛者の方がノンケの人を好きになってしまった場合は、秘めざるを得ないんじゃないかって思うんですよ。好きになった男の人には見向きもされないような。それは、ひとつの純愛の形じゃないのかなって、ずっと思っていたんですよ。

まっちゃん やっぱり、僕の中学生の時とかは秘めて、ただもうひたすら愛し続けてた。
でも、大人になってきてからは、そんなキレイ事では済まないんじゃないの? 秘めてるだけじゃ馬鹿馬鹿しくなっちゃうんじゃない? 告白するし、求めるし。だから、純情な時に愛するのが、本当のまさに純愛なんじゃない? 大人になってしまったら、純情なんてないわけだから、純愛っていうのは成立しないと思うな。

〜中略〜

まっちゃん 純愛ってのは、僕たちの世代なら高校生ぐらいまでの愛を純愛と言って、そこから大人になってからの愛は純愛じゃないって気がするわね。それでも、「結ばれなかったら純愛」かもしれないけど、でもやっぱり、やりたいから恋愛するんだし。やりたいの裏には「純」ってものは存在しないんじゃない?

岡村 性欲を持った時点で、もう純愛じゃなくなるんですかねぇ? 僕個人としてはちょっと違う考えを持っていて、駆け引きが無い状態であれば性欲を持っていても純愛のような気がするんです。さっきおっしゃってましたけど、好きで好きで好きでしょうがない、相手がどう思おうがなんだろうがもう、どうしょうもない状態。ちゃんと計算していれば、こっちがふりだってわかっているのに、告白さぜるを得ないみたいな。そこに性欲が介在していたとしても、僕個人の視点からすると、純愛のような気がしますが。


ふたりのやりとりを通して頭に浮かんだことは、「純愛って、何にたいして純なんだろう?」ということ。
相手のことだけを考える。相手の幸せを考えて、尽くせることが純愛?
それとも、自分の中の止まらない想い、それをせき止めずに相手にぶつけられるのが、純愛でしょうか。

「相手のことを想う」のか、「相手のことを想う自分を想う」のか。
どちらに素直、正直になるのが、純愛なんでしょう。


整形外科医、評論家、小説家、精神科医、様々な背景を持つ対談者が現れますが、なかでもスワッピングを行っている夫婦は、とても強烈的です。
スワッピングとは、一時的に他の夫婦とパートナーを交換して、肉体的な関係を持つこと。

欲求不満から? 夫を、妻を愛していないから?
どちらも、違います。

パートナーが、一時的とはいえ、他人のものになる。
そこでわき起こる嫉妬が、相手への愛を強烈に再確認させるのです。
傷ついた筋肉が、筋肉痛を経て超回復するように、相手への嫉妬を繰り返すごとにふたりの愛は強く強く固まっていきます。

理屈の上では何とか理解できても、その苛烈さに、僕も岡村ちゃんも絶句してしまいました。


対談の端々からは、作り手としての岡村靖幸の顔も、垣間みることができます。


——結局、岡村さんの中で「音楽を捨てても誰かを愛したい」という思いはゼロなんでしょうか? それともゼロではない?

岡村 難しい質問ですが……。何かをクリエイトしてるみなさんがそうだと思うんですけど、自分が関わっている仕事が単なるビジネスではない。生き様とリンクしている。そういうものっていうのは、自分のアイデンティティに深く関わっているので、もしそれを捨てるとなれば、自己愛を捨てる事になりましょね。で、僕の場合、自己愛を捨てて誰かを愛するというのは、不健全な状態になってしまう。そういう意味で、難しいですね。


岡村 いや、僕だってね、この世界に入りたての頃は、女の子に囲まれて「うははは!」ってやると思いましたよ。でもですよ、そんな時は、絶対にいい曲なんて書けないわけですよ。努力しないですもん、そんな時。最上の女性と抱擁している時に、誰がイバラの道を進んで「ウワーガンガン!」ってやると思いますか? 誰が、そういう時に実験的な音楽を生み出そうと思いますか?

名越 うんうん。

岡村 そういう時は頑張ろうとは思わない。やっぱり、報われない日常、叶えられない祈り、そういうものがあるからこそ頑張れる。



読み通して感じたのは、『純愛カウンセリング』という題は、適切だなぁ、ということ。
岡村ちゃんがしているのは、相手の純愛観を引き出すインタビューではありません。
全ての対談で、岡村靖幸は自分の純愛に対する思い、純愛観をぶつけます。相手に、「この感覚はどう思いますか?」と問います。
対談者の純愛観を聞き出そうとしているわけではありません。

しかし、岡村靖幸がぶつけてくる純愛観に、共感するにせよ、反対するにせよ、対談者は自分の純愛観をぶつけ返します。
結果、岡村靖幸と対談者の純愛に対する思いが浮き彫りになります。




岡村 僕が思うのは、自分の引き出しってあるでしょ?

名越 ありますね。経験などで培った何か。

岡村 でも、ある日、くるわけですよ。「あれ? これ、どういう意味なんだろう!?」「どこの引き出しに入れればいいの?」「うわー!?」(激しい手振りで)みたいな。そういう時、人間は初めて興奮すると思うんです。だって、自分の引き出しには入らないから。

名越 そうですね。僕がいった集中にも近いものがあります。

岡村 でそういった引き出しに入らない何かが、恋愛で言えば純愛だと思うわけです。何の計算もきかない、ロジックなんて見つけられないもの。もしくは、見つけにくいもの。というものは、興奮するんじゃないかしら?


恋は盲目。
岡村ちゃんの語る純愛は、触ると火傷しそうな熱いものです。
そうしたロジックになれない想いが、彼の音楽のモトになっているのでしょう。


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