愛でもくらえ

愛でもくらえ

あなたは子供を殴れますか。



ビートたけしの自伝、てよりかはエッセイかな。
タイトルに惹かれて手を伸ばした本。

まぁ、僕にとって、というか、僕らにとってきっとビートたけしは微妙な存在だと思う。
芸人としてのたけしはほとんど見たことない。
むしろ生業は映画監督で、時々TVで重鎮的な存在でちょっと毒を振りまいてる、て感じだ。

そんなイメージしか持たない僕がこの本を読んで感じたのは、「ダメな天才」だなぁってこと。

前半は母親とのこと。後半は嫁さんとのもろもろ。
まぁヤクザなわけだ、気性が。親からもらった金は無駄遣いするし、浮気しまくって性病もらうし。
でも、そこまで嫌みじゃない。どうしてだろう?

ひとつには、僕はたけしをある種芸術家として見てるからだと思う。良い映画もたくさん作っている。
なんというか、芸術家にはダメ人間でも許される、ていう土壌がある。女にだらしなくて浮気を重ねても、まぁそれが芸の肥やしになるから、と。だって彼はこれだけ素晴らしいものを生み出しているんだもの、て。

うらやましいよね。憎いし、だからこそうらやましい。多くの人間はわがままに生きられない。世間体とか、自分の周りの社会、簡単に言っちゃえば他者の痛みを想像して、わがままに振る舞えない。
だからわがままに振る舞える人ってのは、他者の痛みを想像できない人間か、わかっていても気にしない人。
たけしは、なんだろう。
もしかしたらたけしは、分かっていてもそれ以外の生き方ができない人だったのかな。
でもそういった人間がたけしのように成功を納められなかったら、「弱い」と言われるんだろうね。

で、僕がたけしにどこか屈折した爽やかさを感じるもう1つの理由は、彼が自分がダメ人間だってことを自覚している、てこと。自覚、ていうと偉そうかな。たけしは自分を、そう、思っているってところ。
女はすごい。女には勝てない。
て感じのことをたけしは繰り返し述べている。ダメ男だけど、驕ってるわけじゃないんだよね。

こうしたたけしの人柄を見ると、周りの人は「まったく、もう」と微笑んで許してしまうんだろうなぁ、と思う。

でも、僕が一番面白く感じたのは、そういった思い出話よりも、教育や社会へのエッジのきいたエッセイだ。
特に教育に関しては、共感を覚える言葉が多かった

子供の教育が難しいという。だけど、親は教育なんて何もしていないと思う。子供にも人権がある、個人を尊重しましょうなんて言ってる。それが教育なのか。子供の人権を尊重しようと言うのなら、いい子になる権利もあるし、悪いやつになる権利もあるはずだ。全部の権利を認めてあげなければいけないんじゃないか。


たけしは、教育は親と子どもの命がけの勝負。親が負けちゃいけない。
といったことを言う。だから子どもにも暴力を容赦なくふるう。もちろん、筋の通ったものではあるけれど。

暴力の加減はもちろん意識する必要はあると思うけれど、僕も痛みのない教訓は弱いと思う。
と、いうか、はじめに「○○しなきゃいけないんだよ」と言われて、はい分かりましたと納得して実行できるほど人間はできていないと思う。そこには、少なからずの矯正が必要だ。

これは映画論になるんだけど、外国に行くと、「あなたの映画は暴力シーンが多い、どう思います」ってよく聞かれる。オレは振り子のようなものだといつも言うんだ。なぜそいつを殴れるのかっていえば、その暴力に対応しただけの愛情があると思うわけ。
ここに振り子があるとする。静止した状態の、錘(おもり)が垂直に下りている真ん中がゼロ点で、振幅の片側が暴力、反対側が愛だとしたら、激しい愛という点から錘を放せばその振り子は激しい暴力に変わる可能性がある。100の暴力は100の愛に変わることがある。物理で言うポテンシャルエネルギーだけど、10しか愛してないやつはどうしたって100の暴力はふるえないことになる。だから、激しい暴力は激しい愛に変わる可能性があるけど、中途半端な暴力は中途半端な愛でしかない。


この作中の言葉は、たけしの教育についての考えを表す良い例じゃないかな。
別にこれで暴力を正当化したいわけじゃないだろう。暴力と愛の性質を語っているだけ。

でも、ダメな天才と上に書いたけど、強いな、とも思う。それは意志というよりも、姿勢が。

オレは「もらい物文化」って言うんだけど、今、いちばん腹が立つのは、自分では何もせずに、変なロックコンサートやサッカーの試合を見に行って、バンドの連中やサッカー選手に向かって「夢をありがとう」って言ってるやつらだ。そんなやつがうじゃうじゃいる。
なんで夢をもらうんだ、他人から。
「私の青春でした」「青春をありがとう」とか、「涙をありがとう」。
夢も青春も涙も全部もらい物だ。自分の涙を流そうとすることもないし、自分に感謝をすることも何もなくて、他人の好意にたかってなんかいただくってやつばっかりじゃないか。

あとは自分の個性だろうね。よく外国人に日本人はこうだからと指摘されて、直そうとするやつがいるけど、それは嘘だよ。しなくったっていいんだよ、自分がそれでよければ。日本人は主張しない、レストランに行って、注文するときに私もそれをって言ったら、なんで日本人は私も私もって言うんだろう。そんなことはしょっちゅう聞かされる。だけどよく考えれば、私はそれが楽なんだからって言うしかないじゃないか。自分でわざわざメニューを考える、そんなことはどうでもいいことだろう。ヨーロッパ人にとって食事するってことは大変なことかもしれないけど、こっちはどうってことないわけだよ。何を食おうと大きなお世話で、だったらお任せしちゃったっていいわけだ。コックに任せるって言ったって、それが恥ずかしいことでもなんでもないと思う。それを勘違いして、ちゃんと自分なりにメニューを決めて、ワインも選ばないから日本人はだめなんだって言われるけど、そんなことはない。


2つめの言葉は、なるほど、と思った。
いや、考えとしては僕も似たことを思っているんだけど、それをこういう形で言い切れる、てのはたけしの強さだなぁって思う。

こういう姿勢であったり、何だかんだで自分の弱さを自覚していることろを見ると、「強かな天才」て印象を受ける。
そんな作品。

もっとエッジのきいたエッセイであったり、教育論や文化論を書いたものがあるなら、ぜひ読みたい。



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