『くう・ねる・のぐそ』—きたない話ほど聞きたい

苦節九年、ついに自分の野糞跡にアンモニア菌が生えた。私のウンコがキノコによって分解された、まぎれもない証拠だ。とうとうやった!!


タイトルからして強烈な『くう・ねる・のぐそ』
追い打ちをかけるように「糞土師」という肩書きが金色の光を放っています。

野糞を始めて35年、21世紀に入ってからは一度もトイレで大便をしたことがないという著者が、熱く野糞の魅力について語り尽くすエッセイです。

これだけだと、”趣味としての野糞”といったキワモノ感を覚えかねませんが、実はその根底には「人が自然に返せるのはウンコだけ」という自然愛があります。(とはいえ、実に気持ち良さそうに野糞をしているのだけれど)

著者はもともと、キノコやコケを専門に撮る写真家。
写真家としてのキノコ関連の本も出版していますが、今は野糞の良さを啓蒙する糞土師として活躍されています。



元来、自然保護に熱心だった著者の伊沢さん。
16歳のとき、自然保護を叫んでいた自分がトイレを使うことによって、自分のウンコを自然のサイクルからはみ出させていたことにはたと気づきます。
そして、このままではいけない、と意図的に野糞を始めます。

野糞とはまた別に、有機物を無機物へ、生物の死を生へと変換させる菌類の魅力に取り憑かれていた伊沢さん。
キノコ専門の写真家としての活動も進めていました。

しかし、「菌類」と「ウンコ」が結びつくのに時間はかかりませんでした。
これらが奇妙にも組み合わさっていき、伊沢さんの野糞活動はより活き活きとしたものになります。


ひさしぶりにそこを訪れると、なんとアシナガヌメリが四本、まさにその場所に生えていた。アンモニア菌の存在を知ってからというもの、私は野糞をするたびに、まだ見ぬアシナガヌメリが生えないものかと、密かに念じていたのだ。苦節九年、ついに自分の野糞跡にアンモニア菌が生えた。私のウンコがキノコによって分解された、まぎれもない証拠だ。とうとうやった!! 私の両輪であるキノコと野糞が、がっちりと連結された瞬間だった。


野糞をする、といっても、コンクリートの道路の上など、どこそこ構わずすればいいというものではありません。
ウンコが十分な栄養源となるための広さを持った林、森が必要です。
何より、人目を避けるだけの茂みがある、というのも重要です。 


 いまにして思えば、自然保護運動をしていたころの私は熱くなっていたわりに、林(自然)そのものについては観念的にしか捉えていなかった。大きな森の存在は感じていても、細やかな林相の変化や身近な小さな林の存亡にまで、いちいち心を砕いてはいなかった。
 ところが毎日野糞をするようになると、林は私自身の生活の中に完全に組み込まれた。たとえ貧弱な林であっても、その荒廃や消滅が、我が身に起きている「痛み」として感じられるようになってきた。林がなくなればウンコもできなくなるわけで、それは「命にかかわる重大事」と言っても過言ではない。
 写真取材や登山などで山に入っていれば、野糞の場所には困らないが、日常的にしようとすれば、まるで事情がちがってくる。ウンコのたびに外に出て、適当な場所を探さなければならない。雨天や夜間では、雨具や懐中電灯なども必要になり、それはそれは手間暇がかかる。おまけり下痢などすれば、緊急性まで加わって大変だ。だから、なるべく身近なところに野糞可能な場所を確保したい、と思うのが人情だろう。こうして林の存在は、観念としてではなく、私自身の生存にとってなくてはならないものになった。

トイレでの排泄が常識の社会。
365日野糞への挑戦を決めるものの、行く手は前途多難です。
林の少ない都会。一日中拘束される飛行機での移動。お尻にたかる蚊…
飽くなき執念でそれらの課題を打破していきます。

始めは尻拭きにちりがみを使っていたのも、だんだんと葉っぱなどの自然物の使用に変わっていきます。
本書には、そうした実体験を元にした拭き心地のよい葉っぱのリストも載っています(!)

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[ハッカ]
暑さが苦手な私は、夏場の野糞でとっておきの奥の手を使う。ハッカの葉っぱだ。しかしその葉は幅二センチほどしかなく、拭き取りには小さすぎる。もっと大きな葉っぱで拭いた後に、最後にハッカでひと撫でして仕上げるのだ。肛門付近に爽やかな香りと爽快感が漂い、脱糞後の心地よさと相まって至福の境地だ。もし野生のハッカがなければ、栽培ミントでもある程度代用できる。二〜三枚葉っぱを用意しておき、食後のデザーとならぬウン後のデザートとして、ぜひ試してほしいお洒落な逸品だ。


こうした野糞のハウツーだけでなく、そのウンコの分解についての詳細なレポートも書かれているのが本書の特色です。
土に埋められた糞が、どれくらいの日数で、どのような条件下で、どのように分解されていくのか。
長期に渡ってつぶさに観察を繰り返し、その分解の過程を追っていきます。

その分解の流れは、ありがたいことに(?)オールカラーの写真付きで解説されています。
でも、ご安心ください。
これらは巻末の袋とじに収納されているので、「パラパラめくっていたらいきなり…」といった事故には合わずにすみます。

最初は、やはり野糞を行っていることを公言するのは恥ずかしかった伊沢さん。
しかし、ぽつぽつとその考え、行動に賛同する人も増え、今は「糞土師」として野糞の効用を広く知らしめています。

この刺激的な内容を、いかに聴衆に拒否反応を起こさせず伝えるか、といった工夫も面白いです。


それまでにも秋になると、ときどきキノコ狩りや観察の指導に引っ張り出されていたが、この年はむしろ、自分から積極的に出ていくことにした。むろん、野糞話をするために。とはいえ、いきなりウンコの話からはじめるのは問題だ。まず最初にキノコのスライドで分解や物質循環などを話し、そこからウンコにつなげれば、すんなり野糞話に引き込めるだろう。そこで、スライドの構成はつぎのようにした。

 ①ひとつのキノコを上から見下ろした場合と、仰ぎ見た場合の二枚を見比べる。視点を変えただけで、その姿はまるでちがったものになる。意識や視点を変えることで、それまで知らなかったすばらしい面が見えてくる。(ウンコに対しても味方を変えよう、という根回し)
 
 ②落ち葉や枯れ木の中の菌全体を見せ、キノコが分解していることを理解する。腐るからこそ死んだ有機物が土に還り、植物の養分として再利用され、新たな命につながる。
 
 ③たとえ街中でも庭でも、ときには家の中や捨てたゴミの上にもキノコは生える。さらには、猛毒なダイオキシンまでキノコは分解してくれる。
 
 ④分解だけでなく、樹木と共生するキノコもたくさんあり、たとえ毒キノコでも森の成立には欠かせない。人間の目先の利害だけで判断するのはやめよう。
 
 ⑤もちろん、キノコはウンコも分解する。最後にアシナガヌメリやマグソタケ、ミズタマカビなどの糞生菌の面白さ、美しさを見せ、そこから「じつは……」と野糞話に移行する。


本書で繰り返し述べられるのが、「野糞は人間が自然にできる唯一のお返しだ」ということ。
自然から生まれたものを食べ、その排泄物を豊潤な栄養源として自然にお返しする。
それをモットーに、伊沢さんは野糞を続けます。

始めのうちは、読んでいて「うっ…」と少したじろいでしまう部分もあったのですが、嬉しそうに野糞の話を続ける伊沢さんの語りに触れていると、だんだんと抵抗感・違和感なく読み進めることができました。
その感覚が今も体に残っているので、当ブログでも比較的容赦なく「野糞」「ウンコ」といった言葉を使えたんだと思います。

ここまで読み進めてしまったあなたも、ちょっぴり「のぐそ」の世界に惹かれてしまっているんではないでしょうか?
トイレの棚に入れておきたい、不思議な良書です。



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