百年の孤独

息をする物語


すごく大げさな比喩だというのは分かっているけれど、読んでいて「神話のようだ」と思った。

不思議で、荒唐無稽な出来事が当然のように起こり、それを当然のように受け入れる登場人物たち。
そこで起きる不思議な現象に、特別な意味は込められているように思えない。
いや、それは僕たち、というか人間の根底とつながった”何か”を”物語”として表現しているかも知れない。
でも、そんなことも、ないかも知れない。

スゴく意味のある挿話にも思えるし、単純な、ただの不思議な話にも思える。
そしてその挿話、僕たちにとっての”非日常”は、僕たちになじみのある”日常”と全く同じ地平で肩を並べている。

舞台は、マコンドというジャングルの中の村。
マコンドという村が生まれ、消えて行く。
その村とともに、いや、村として生まれ、盛衰していく一族。

でも、作中でも環状線と表現されるように、ここでの歴史はまっすぐに伸びた時間軸には乗っていないと思う。
1つの点から、螺旋状にゆっくり時は円を描き、幅を広げていき、そして対称になるようにまた、1つの点へと円を描きながら収束していく。
そんなイメージをいだいた。

そして、なんというか、僕たちの本能を揺さぶるような官能さがある。
直接、扇情的な表現があるわけじゃない。

大地に根ざした、純粋なヒトとしての欲。
欲といっても、本能的な願い、焦がれ、だ。
でも、そのゴツゴツした表現がズドンと腹に響く。

物語に引きずり込まれる、ていう感覚は久しぶりだった。
電車の中でも、家の中でも、この本は周りの音、風景を消し、むせ返るような亜熱帯が広がる。

でも、物語の中に自分も入る、という感覚とは少し違った。
だって、あまりに不思議な世界だもの。
他に何もない空間で、レンズに目を擦り付けて、距離をとらずに物語を眺めているような感覚。
もしくは、物語に入るのではなく、物語の全体、そのうねりと一体化するような、すごく曖昧で、訳が分からなくて、でもそれが心地いい空間がそこにある。

僕は”読書”は、読み手と本が共同で作る作品だと思っている。
この本は、すごい。
でも、僕にはまだこの本と手を取り合って何かを作り出すだけの力が、十分にない。それを実感した。

この先、様々な思いを重ね、考えを深め、でもまぁ片意地はらずにゆっくり生きていろんな経験をし、この本ともっと素晴らしい作品を作りたい。
そう思わされた本です。

追伸
旧版より新版のほうが、物語とあった表紙になっていると思います。
この記事で紹介してるのは、新版。

旧版↓



2012/1/14 追記
よく見ると、旧版の絵は螺旋になっていますね…
なるほど。見落としていました。



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