刑務所図書館の人びと―ハーバードを出て司書になった男の日記

刑務所図書館の人びと

ナイフをどう使うか。本をどう読むか。

受刑者の中で、いちばん司書に向いているのが風俗の男。逆にまったく向いていないのがサイコキラーと詐欺師。ギャング、銃器密輸人、銀行強盗は群衆整理がうまく、少人数の協力者と手組んで、慎重に練った計画を抑え気味のテンションで実行するのが得意。ということは、司書の基本的技能に長けているといっていい。


魅力的な文章から始まる本書。
刑務所内の図書室で司書として働いていた著者のエッセイです。

刑務所内に置いてある本は、通常の図書館と大差ありません。
しかし、普通の図書館と全く異なってくるのが、その使われ方です。

刑務所の図書室では凧(カイト)と呼ばれる手紙が、本に挟まれることが多々あります。愛しい女性囚人への愛の言葉、男性囚人への嫉妬の言葉、ただ自分の思いをつづった言葉。郵便箱として本が機能します。

それだけじゃない。本って、立派な凶器になるわけです。ハードカバーの角はもちろん、雑誌をまとめて丸めたものも、むかつくアイツの頭をぶん殴る武器に早変わり。

本だけではなく、図書室という空間も刑務所内では異質な存在になっています。


しかし刑務所では、ひとつ空間が増えたとたん、頭痛の種になる。とくに図書室は保安上の頭痛の種になった。刑務所の中で図書室は、中庭をのぞけば大勢の受刑者が行き来する数少ない場所のひとつであり、監視するのが難しいつくりになっている。棚という棚——が死角を作り、本という本が受け渡す物品の隠し場所になる。刑務所内で悪さをするにはうってつけの場所で、手紙や禁制品をしのばせたり、受刑者の図書係にゴシップを伝えてそれぞれのユニットで広めてもらったりもできる。


本を、刑務所をどのように捉え、どのように活かしているかは人それぞれです。司書、刑務官、囚人。囚人たちの中でも、図書室の意味は大きく異なっています。


刑務所の図書室の役割って、なんだろう? 仕事を初めて数週間のあいだ、いろいろな人にこの問いを投げかけたところ、それぞれ違う答えが返ってきた。図書室なんて百害あって一利なしで、最悪の場合は受刑者を甘やかし、彼らが犯罪を企てて実行する場を提供する、といった人たちもいた。一方、受刑者に囚われているという現実を忘れさせ、神経を落ち着かせるために有効だといった人たちもいた。図書室があることで、刑務所がだれにとっても多少は暮らしやすい場所になるというのだ。ある上級刑務官は、見張られているとは思ってもいない受刑者から情報を引き出すのに格好の場所だといった。


刑務所では、貸出した本が消えることなど——刑務官が悪意から、またはむとんちゃくに持っていったにせよ、受刑者が盗んだにせよ——日常茶飯事だった。本を紛失した者に罰金を科せば、正直な者たちの本を借りようという気持ちまでそいでしまう。しかも皮肉なことに、ここの刑務所の図書室には——利用者の中に盗っ人の占める割合が世界中のどんな図書室よりも高いというのに——盗難防止装置が設置されていない。


この本で語られるのは、本や、刑務所の図書室と言ったものだけではありません。著者アヴィの昔話や、刑務所という特殊な環境について、更正していく囚人たち、出所すぐに殺される者、団結しアヴィに反抗する刑務官たち。
話は多岐に渡ります。
しかし、この本の素晴らしいところは、話が広まっていくにも関わらず、決して中身は薄くなっていかないところです。
様々な話が、図書室を起点にし、また時にはそこから離れ、全体が不思議な一貫性を帯びています。

冗談めいたような、アイロニカルな物言いが目立ちます。
しかし、そこには、皮肉めいた言葉を使うことが現状に対する唯一の抵抗になっているような、どうしようもなさ、哀愁が漂っています。


僕は、人形を使った講習のシーンが鋭く胸に刺さりました。
屈強な男性囚人たちが、人形を渡されます。彼らは講師と戯れるためにふざけながら人形で遊びます。しかし、ふざけ終わったあとも彼らは人形をひざに置いたまま勉強を続けます。丁寧すぎるほど人形を慎重に扱い、そっと机の上に置くようになります。
愛の変わりに暴力を受けてきた育ってきた囚人たちは、心の幼い者が少なくありません。

その授業を勤める女性講師は言います。


「わたしとしては、それをみて笑うしかないの。でないと、絶対に泣いちゃうから」



本は人を殴る道具になると言いました。
しかし、本は鈍器だけでなく、鋭利なナイフになる可能性も秘めています。
しかもそれは、それこそが本の持つ力であり、非常に抑えづらいものです。

シルヴィア・プラスは、30歳の時に自殺した作家です。


『エアリアル』が、刑務所勤務の検閲官の近視眼的な目にとまることはないだろう。彼らに排除する権利があるのは、ポルノ作品や暴力的な作品だけだ。しかし、『エアリアル』が芸術作品だからといって、危険度が低いとはいえない。じるのところ、芸術作品であるために危険度がはるかに増している。この図書室にくる女性受刑者の中には、境界性人格障害の者や自傷癖のある者や自殺志願の薬物中毒者などがいて、プラスの言葉を神のお告げとみなし、自殺に走る危険がある。ぼくにはそういう受刑者をこの詩集から守る責任があるんじゃないか。いや、逆に、詩を読むことが何かの形で彼女たちの助けになるかもしれないから、詩を教えるべきなんじゃないか。あるいは、どちらもぼくの責任外かもしれない。答えは出なかった。


ナイフのようにこちらの心をえぐる本。それは、自分の抱える痛みを増幅させるものであると同時に、自分の痛みに向かい合う助けにもなるのではないでしょうか。
それに、僕は自分を傷つけるような本に出あうと、息苦しくなるとともに、「あぁ、この人は僕の痛みを分かってくれている」という、すがりたくなるような共感も味わいます。

しかし、本が人を殺す可能性は、決して消えません。


さて、僕たちの大方は司書ではありませんが、本棚を整理するという経験はしてきたのではないでしょうか。
手当たり次第、床にちらばる本を棚に詰め込みましたか?
それとも、何かルールを持って本を並べ、達成感を味わっていましたでしょうか。


エリアは本棚に本を一冊並べるたび、刑務所の秩序に背く行為をしていたのだ。彼の仕事には、ささやかだが対人的な行為が含まれていた。それは彼自身が創り出した行為であり、彼が番号を付された単なる物体ではないことを保証する行為だった。そう、彼は人間であり、主体であって、物事に自分なりの秩序を与えることができた。


本を並べるという行為。
紙の束を順番に棚に詰めるという行為。

たったそれだけなのに、それはとても人間的な行為で、その人でしか、なしえないものです。
本棚が、並べた者の一貫した意思を帯びた作品となります。

図書室という場では、その作品はほこりを被るのではなく、多くの目に、手に触れ、次第に解体されていきます。
そしてまた、本棚には本が入れられていきます。血のかよった人の手で。

この本で描かれているのは、本や図書室それ自体ではありません。
むしろ、本というトロッコに乗って、何人もの人生を景色として眺めながら進むような、そんな興奮をページをめくりながら感じます。



You may also like

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です